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初代西川 傳右衛門(にしかわ でんえもん、寛永4年(1628年) - 宝永6年2月(1709年3月))は、江戸時代初期、蝦夷地に進出した近江商人西川傳右衛門家の初代。越後に生まれ、西川家本拠の近江で育った。屋号は近江八幡で松前屋・松前(現北海道松前郡松前町)では住吉屋と称した。 == 略歴 == === 西川家 === 近松文三郎著『西川貞次郎』によれば、西川家は元六角家の家臣で永禄年間に近江国蒲生郡津田村(現近江八幡市津田)に居住した市往右兵衛尉吉久を祖とし、後に八幡山城下に移転、西川と姓を改め、右兵衛尉吉久の子吉春(寛文3年8月(1670年9月死去)の次男傳右衛門が分家して「西川傳右衛門家」になったとしている〔「西川貞二郎 1.西川家」(近松文三郎著 近松文三郎 1935年)〕。 一方、貞享2年(1685年)に書かれた『先祖書き(滋賀大学経済学部附属資料館保管西川傳右衛門家文書)』では、『蒲生郡津田村の住人西川宇右衛門が正親町院の用を務めた時に市往右兵衛尉吉久と改名、後に安土から八幡為心町に居住した。右兵衛尉吉久の子右兵衛義重には越後出身の妻妙願と八幡新町九良右衛門の娘妙意の二人の女房がおり、初代傳右衛門は義重と妙願との間の次男として寛永4年(1628年)越後高田に生まれた』としている〔「近江商人西川傳右衛門家の松前経営」(上村雅洋 滋賀大学経済学部附属史料館 1985年)〕。 傳右衛門の生年は寛永3年(1627年)とし〔「近江商人」(平瀬光慶著 近江尚商会 1911年)〕〔「近江の先覚」(滋賀県教育会 1951年)〕〔「北海道『海』の人国記」(伊藤孝博著 無明舎出版 2008年)〕〔「滋賀県百科事典」(滋賀県百科事典刊行会編 大和書房 1984年)〕、出生地は八幡〔、南津田村〔〔とする資料もある。本稿では生年・出生地共に『先祖書き』に従うこととした。なお、義重と妙願の間に生まれた長男の家が「西川長右衛門家」、同三男の家が「西川傳兵衛」として傳右衛門家と同様に分家した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西川傳右衛門 (初代)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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